その写真に"いいね"はどれくらいついたんですか?
展示会を通して感じる人の価値観の形成
たくさんの方々に展示会へお越しいただき、改めて厚く御礼申し上げます
この機会に色々な意見や感想をいただくとともに、写真をどのような思いで撮影したのか、どのような狙いで撮影しているのかなどを訊かれ説明することも多かったです
こちらにも順次に解説の文章や動画などの撮影をして発信していこうと考えています
もうしばらくお待ちください
さて、本題です
この訊かれた事柄以外にもお話しをさせて頂いているとこの方の発言はとても興味深いなというものがありましたので今回のお題としました
それはこんな一言でした
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「この写真は”いいね”がどれくらいついたんですか?」
『僕』は
わかりません。しかし、この写真は想い入れがあってとても好きな写真ですと答えました
「それはオカシイ。わたしも写真を撮っていますが”いいね”が三桁はつきますよ。それくらいの反応があると自分の写真を好きになりますね」
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そう、”いいね”で自分の好きが決まるという人間にお会いしたのです
『僕』の”好き”を決めるプロセスと大きく違っているのです
『僕』が”好き”を決めるときは自分の内存する定規に照らし合わせて決まったり、直感的に好きという感情が湧き後付けで、何故好きなのかと考察で頭の中をフル回転させます
(このテーマはまた後日にでも)
この方の”いいね”という承認欲求は満たすものでなく、個人の好きか嫌いの嗜好性・好みの偏向性を形成するものになっているのです
『僕』にとっては衝撃的な出来事でした
しかし、なにも世の事例として類似している例がないわけではないでしょう
例えば、好きな人と同じアーティストや作品を好きになるということも同じ外因的要因による個人の好きか嫌いの嗜好性・好みの偏向性を形成となるでしょう
しかし、今回においては少し異なる。自分の内在する個人の好きか嫌いの嗜好性・好みの偏向性を他人の”いいね”という承認欲求に委ねるのです
もしかしたら、この方は自分が美味しくない料理でも写真を撮ってSNSにアップし、多くの”いいね”や”ここのお店美味しいですよね!”などのコメントがつくと、たとえ美味しいと思っていなくても好きになるのかもしれません
これを良い悪いという括りにするのではなく、このような方は他にいたりするのか?
他にはどういうプロセスや基準で個人の好きか嫌いの嗜好性・好みの偏向性を形成しているのかとふと他人のそれが気になった出来事でした
ちなみに自分は”いいね”が嬉しくないのかと聞かれるとやはり嬉しいものです
自分が創ったものがたくさんの人の目に留まることは嬉しいですし、その”いいね”は多くの人に見てもらったという定量的な判断には使うことができますから
『僕』のスタンスとしては「表現者として創ったら創りっぱなしではなく、人にどう伝えるかを考え責任を持つのが役割」かなということを考えています
SNSの”いいね”はあなたにとってどういう役割ですか?
あなたの個人の好きか嫌いの嗜好性・好みの偏向性を形成する基準はありますか?
考えるきっかけになるのがこの文章であると書き手冥利につきます、そう『僕』にとってこの展示会がそのキッカケであったように……