あなたは自分の人生を語らうことができますか?
先日、友人の結婚式に出席をする機会がありました
そこには様々な人生の交差点の岐路、そして胸にしまってある
昔のアルバムを開いてみんなで語らう機会でもあったりします
友人の大事な人生のヒトコマ
また、そこに集まる勝手知ったる友人たちはいつだって、話す主役は過去から今へ、そして明日へと向けられ話す事柄も胸が躍るものであります
なぜ、今のような人間になったのか?
なぜ、あなたは今の仕事に就いたのか?
なぜ、あなたはその人と結婚したのか?
なぜ、あなたはそれが好きなのか?
様々な問いがあり、そしてそれを一言で表すようなそんな人生はなく
人の人生はまるでフラクタル図形のようなものでしょうか
生きているというのはそういうことなのでしょう
「簡単に説明できるような人生などない」
ということでしょうか
そして、大事なのはそれを成していく『生き方』なのでしょう
結婚式で友人に囲まれている主役を見ているとそんな気がしました
人に簡単に説明できるような人生はないし、つまらない
そしたら、どうやって生きるかを考える
そういう時間を創ること大事かましれません
ちなみに友人と言えば『僕』の友人には変な友人ばかりです
何が変なのかという説明は一例をあげることで説明したものとしましょう
あるとき、生ビールのジョッキを傾けながら友人と語っているといきなり、
「死ぬまでにこれはやっておいたほうがいいことってありますか?」と訊かれたり
仕事終わりにLINEの新着メッセージを開いてみると、
「なぁ、死にたくなるほど嫌な事ってあるかい?」と訊かれたり
人を悩ませてくるがおもしろい話ができる質問をしてくる人間が何人かいたりします
人生なんて大きく書いてしまいましたが、どんなきっかけでも自分と向き合う時間を手のひらサイズのデバイスと向き合う時間より多くしてみるのもいいかもしれません